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名古屋地方裁判所 平成7年(ヨ)771号 決定 1996年3月06日

フランス国ル・プレスィ・ロバンソン市ガリレー通り二二

債権者

サンテラボ

右代表者

エルヴェ・ゲラン

右代理人弁護士

片山英二

右北原潤一

右復代理人弁護士

林康司

名古屋市東区葵三丁目二四番二号

債務者

大洋薬品工業株式会社

右代表者代表取締役

新谷重樹

右代理人弁護士

脇田輝次

右輔佐人弁理士

小野信夫

主文

一  債権者が、本決定告知後五日以内に債務者のために、金三〇〇万円の保証を立てることを条件として、債務者は、平成八年三月二六日が経過するまで、別紙物件目録(一)記載の物件を、製造し、販売してはならない。

二  申立費用は、債務者の負担とする。

事実及び理由

第一  申請の趣旨

一  債務者は、別紙物件目録(二)記載の物件を、製造し、販売してはならない。

二  債務者の別紙物件目録(二)記載の物件及びその製剤材料である別紙物件目録(三)記載の物件に対する占有を解いて、管轄地方裁判所の執行官に保管を命ずる。

第二  当事者の主張の要旨

一  債権者の主張

1  被保全権利

(一) 債権者は、別紙特許権目録(一)記載の特許権(以下「甲特許権」といい、その発明を「甲特許発明」という。)及び別紙特許権目録(二)記載の特許権(以下「乙特許権」といい、その発明を「乙特許発明」という。)を有している。

(二) 甲特許発明は、チアプリド又は塩酸チアプリドからなり、「振せんと、特発性もしくは医原性のデイスキネジーと、舞踏病、チック、片舞踏病のような異常な行動とを含む運動異常を調整する」という用途を有する治療薬に関するものであり、乙特許発明は、チアプリド又は塩酸チアプリドからなり、「アルコール中毒患者と老齢者における反応性亢進、攻撃性もしくは刺激性のような現象によって示される行動異常を調整する」という用途を有する治療薬に関するものである。

(三) 債務者は、塩酸チアプリドからなり、「脳動脈硬化症に伴う攻撃的行為、精神興奮、徘徊、せん妄の改善、特発性ジスキネジア及びパーキンソニズムに伴うジスキネジア」を効能、効果とする医薬品(商品名「グリノラート錠二五mg」、「グリノラート錠五〇mg」)を製造販売している(以下、この医薬品を「債務者製品」という。)。

(四) 債務者製品は、塩酸チアプリドからなり、「特発性ジスキネジア及びパーキンソニズムに伴うジスキネジア」を効能、効果としているところ、特発性ジスキネジアは、甲特許発明の「特発性のデイスキネジー」と同じものであり、パーキンソニズムに伴うジスキネジアは、甲特許発明の「医原性のデイスキネジー」と同じものである。

(五) 乙特許発明における「反応性亢進」は、患者の反応性が高まった状態を、「攻撃性」は、患者の攻撃行動を支配する衝動や欲求が高まった状態を、「刺激性」は、些細な刺激に対しても容易に反応する過敏な情動の状態であり、いらいらして、すぐ不機嫌になりやすく、又はかっとしやすい状態を意味し、乙特許発明は、このような現象が単独で又は組み合わさった状態で生じた結果引き起こされる行動異常を調整する治療薬に関するものである。

債務者製品の効能、効果のうち、「脳動脈硬化症に伴う攻撃的行為、精神興奮、徘徊、せん妄」は、いずれも、反応性亢進、攻撃性又は刺激性といった異常精神現象から生じる行動異常の態様である。

したがって、債務者製品の効能、効果のうち、老齢者に関する部分、すなわち、「老齢者における脳動脈硬化症に伴う攻撃的行為、精神興奮、徘徊、せん妄の改善」は、乙特許発明の用途と一致する。

そして、「老齢者における」という文言は、日本語の普通の意味や優先権主張の根拠となるフランス国における出願の明細書の記載及び乙特許発明が対症療法のための医薬品の発明であって、症状の原因を治療するものではないことなどからすると、「加齢に伴う」との意味ではなく、「老齢者にある」又は「老齢者に見られる」との意味に解すべきである。また、「老齢者」は、一般には、六五歳以上の者を指し、少なくとも七〇歳以上の者を指すということができるから、その概念は、明確である。

さらに、仮に、「老齢者における」という文言を「加齢に伴う」との意味に理解したとしても、加齢は、一般に、脳動脈硬化症の原因となり得るとされているから、「加齢に伴う」脳動脈硬化症が存在するのであり、それに伴う「攻撃的行為、精神興奮、徘徊、せん妄の改善」は、乙特許発明の用途と一致する。

(六) よって、債務者製品を製造販売する行為は、甲特許権及び乙特許権を侵害する行為である。

2  保全の必要性

債権者は、甲特許権及び乙特許権につき、藤沢サンテラボ株式会社に実施許諾し、同社から右特許権の実施品の製造販売につき委託を受けた藤沢薬品工業株式会社が、塩酸チアプリドからなり、債務者製品と同じ効能、効果を有している「グラマリール」という商品名の薬品を製造販売しているところ、債務者製品の製造販売により、右グラマリールの販路が奪われ、ひいては、債権者が回復しがたい損害を被るおそれがある。

二  債務者の主張

1  甲特許権について

(一) 被保全権利について

<1> 債権者は、甲特許権の出願過程において、「一般に向精神薬と称されている医薬品とは全く逆の薬理作用に基づく本願発明は、向精神薬として有用であるとのみ記載されている引例の発明とは明らかに別異のものである。」との意見書を、特許庁に提出している。

ところで、一般に向精神薬と称されている医薬品は、「ドーパミン受容体遮断作用」を利用している。甲特許発明は、それとは全く逆の薬理作用に基づくものであるから、右作用を利用するものではないはずである。

しかるところ、債務者製品は、「ドーパミン受容体遮断作用」を利用しているから、甲特許発明の構成要件に該当しない。

<2> 甲特許権は、平成六年法律一一六号特許法の一部を改正する法律の施行により、その存続期間の終期が平成七年七月一一日から平成八年三月二六日に延長されたものであるところ、債務者は、同法の公布日(平成六年一二月一四日)前に、債務者製品について、製剤処方確立のための試験研究、規格及び試験方法に関する資料の作成、加速試験、生物学的同等性試験、文献等のリストの作成等をした上、製造承認の申請をしていたのであるから、発明の実施である事業の準備をしていたということができる。したがって、債務者は、同法附則五条二項(以下「附則五条二項」という。)の規定に基づき、通常実施権を有する。

(二) 保全の必要性について

<1> 甲特許権の優先権主張日前に日本の国立国会図書館に受け入れられた刊行物には、動物実験をしたところ、スルトプリドが催吐性毒物に対して著しい拮抗作用を有すること及びスルトプリドがデキサンフェタミンで誘発される上顎骨常同運動に対して強い拮抗作用を有することが明らかになったこと、チアプリドについて、スルトプリドと同じ動物実験を行ったところ、スルトプリドと同じ薬理学グループに属し、臨床で使用しても問題がないこと、チアプリドは、臨床薬理の面では、舞踏病型運動、神経筋肉痛、アルコール中毒症候などの神経症候群での試験が興味深いと思われることが記載されている。

<2> 右刊行物の記載は、チアプリドが上顎骨常同運動に代表される不随意連動に対して強い拮抗作用を有することが明らかになったことを述べ、舞踏病、片舞踏病等について臨床試験を行うことを勧めている。

<3> 甲特許発明は、「振せんと、特発性もしくは医原性のデイスキネジーと、舞踏病、チック、片舞踏病のような異常な行動とを含む運動異常を調整する治療薬」に関するものであるが、このうち、舞踏病と片舞踏病について、右刊行物は、臨床試験を行うことを勧めており、また、振せんとチックはいずれも不随意運動を伴う疾患であるから、不随意運動に対して拮抗作用を有する薬剤であれば、これらに対して効果があることは、当然に予想することができる。したがって、甲特許発明は、右刊行物記載の発明に基づいて容易に発明することができるものであるから、甲特許発明には、特許法二九条二項に定める事由がある。

<4> 以上のとおり、甲特許発明には無効事由があるから、保全の必要性がない。

2  乙特許権について

(一) 被保全権利について

債務者製品は、次のとおり乙特許発明の構成要件に該当しない。

<1> 乙特許発明は、アルコール中毒又は加齢による老化に伴って発生する行動異常を調整するための医薬品に関するものである。これに対し、債務者製品は、脳動脈硬化症に伴う攻撃的行為、精神興奮、徘徊、せん妄の改善を目的としたものである上、アルコール中毒と加齢は必然的に脳動脈硬化症を伴うものではないから、債務者製品は、乙特許発明の構成要件に該当しない。

<2> 乙特許発明の「反応性亢進、攻撃性もしくは刺激性のような現象によって示される行動異常」とは、どのような症状又は疾患であるのか、全く理解不能である。乙特許権の「特許請求の範囲」にも「発明の詳細な説明」にも、右行動異常がどのようなものであるかについて説明はなく、また、通常の医学用語から理解しようとしても理解することができない。したがって、「脳動脈硬化症に伴う攻撃的行為、精神興奮、徘徊、せん妄」が「反応性亢進、攻撃性もしくは刺激性のような現象によって示される行動異常」に該当するということはできないから、債務者製品は、乙特許発明の構成要件に該当しない。

<3> 債権者は、乙特許権の出願過程において、「一般に向精神薬と称されている医薬品とは全く逆の薬理作用に基づく本願発明は、向精神薬として有用であるとのみ記載されている引例の発明とは明らかに別異のものである。」との意見書を、特許庁に提出している。

ところで、一般に向精神薬と称されている医薬品は、「ドーパミン受容体遮断作用」を利用している。乙特許発明は、それとは全く逆の薬理作用に基づくものであるから、右作用を利用するものではないはずである。

しかるところ、債務者製品は、「ドーパミン受容体遮断作用」を利用しているから、乙特許発明の構成要件に該当しない。

(二) 保全の必要性について

乙特許権には、次のとおり無効事由があるから、保全の必要性がない。

<1> 乙特許発明は、用途を特定している用途発明であるから、乙特許発明が成立しているというためには、右用途についての薬理効果が、明細書中に開示されていなければならない。ところが、乙特許権の明細書の記載からは、乙特許発明の薬理効果を具体的に確認することができない。したがって、乙特許発明は、発明として成立していない。

<2> 前述したとおり、乙特許発明の「反応性亢進、攻撃性もしくは刺激性のような現象によって示される行動異常」とは、どのような症状又は疾患であるのか全く理解不能である。また、乙特許発明の明細書には、投与量や投与方法の記載もない。したがって、乙特許権の「発明の詳細な説明」には、当業者が乙特許発明を容易に実施することができる程度に乙特許発明の構成が記載されていないから、乙特許権は、昭和六〇年法律四一号による改正前の特許法三六条四項の要件を満たしていない。

<3> 乙特許権の優先権主張日前に日本の国立国会図書館に受け入れられた刊行物には、右1(二)<1>の記載がある。

右刊行物の記載は、舞踏病型運動、神経筋肉痛、アルコール中毒症候などの神経症候に対して、チアプリドの臨床試験を行うことを勧めている。

乙特許発明の用途のうち、「アルコール中毒患者」は、右刊行物が臨床試験を行うことを勧めている疾患の患者に他ならない。また、乙特許発明における「アルコール中毒患者における反応性亢進、攻撃性もしくは刺激性のような現象によって示される行動異常」が、アルコール中毒患者が示す症状、疾患であるとすれば、アルコール中毒患者の右行動異常をチアプリドによって治療することができることは、右刊行物の記載から容易に理解することができる。したがって、乙特許発明は、右刊行物記載の発明に基づいて容易に発明することができるものであるから、乙特許発明には、特許法二九条二項に定める事由がある。

三  債権者の反論

1  甲特許権について

(一) 被保全権利について

<1> 構成要件該当性について

右二1(一)<1>の債権者の意見書中の「全く逆の薬理作用」とは、いかなる症状に対して有効であるかという意味に使われている。すなわち、従来の向精神薬は、振せんやデイスキネジーのような運動異常や行動異常を調整する薬効を有するどころか、これらを発生させる副作用があったのに対し、甲特許発明に係る医薬品は、これらを治療する効果があることを述べているものであり、「ドーパミン受容体遮断作用」を利用しているかどうかについて述べているものではない。

<2> 通常実施権について

債務者は、甲特許権の延長される前の存続期間の終期(平成七年七月一一日)以前から、債務者製品の製造承認を得るための各種試験を行うことを目的として、甲特許発明と同じ「用途」を有するものとして、債務者製品を製造した。これは、甲特許権を侵害する行為であり、このような特許権侵害行為を行っていた者には、附則五条二項に基づく通常実施権は認められない。

(二) 保全の必要性について

無効事由は、審判手続において主張されるべきものであるから、無効事由の存在は、保全の必要性を左右するものではない。また、甲特許権には、次のとおり無効事由はない。すなわち、債務者が右二1(二)<1>で主張する刊行物の記載は、チアプリドが不随意連動に対して強い拮抗作用を有することを開示しているとまでいうことはできない。さらに、右記載は、チアプリドの舞踏病等に関する治験について、興味を示唆しているにすぎないから、チアプリドが舞踏病型運動に対する薬効を有していることを開示するものでないし、ましてや、「振せん、特発性もしくは医原性のデイスキネジー、チック、片舞踏病のような運動異常」に対する薬効を開示するものではない。したがって、右刊行物を理由として、甲特許発明に特許法二九条二項に定める事由があるものということはできない。

2  乙特許権について

(一) 被保全権利について

右二1(二)<3>の債権者の意見書中の「全く逆の薬理作用」とは、いかなる症状に対して有効であるかという意味に使われている。すなわち、従来の向精神薬は、振せんやデイスキネジーのような運動異常や行動異常を調整する薬効を有するどころか、これらを発生させる副作用があったのに対し、甲特許発明に係る医薬品は、これらを治療する効果があることを述べているものであり、「ドーパミン受容体遮断作用」を利用しているかどうかについて述べているものではない。

(二) 保全の必要性について

無効事由は、審判手続において主張されるべきものであるから、無効事由の存在は、保全の必要性を左右するものではない。また、乙特許権には、次のとおり無効事由はない。

<1> 乙特許権の「発明の詳細な説明」には、「特許請求の範囲」に記載された「アルコール中毒患者と老齢者における反応性亢進、攻撃性もしくは刺激性のような現象によって示される行動異常」についてチアプリドの臨床試験の結果が開示され、薬理効果が確認されたことが記載されているから、乙特許発明が成立していることは明らかであるし、昭和六〇年法律四一号による改正前の特許法三六条四項の要件を満たしている。。

<2> 債務者が右二2(二)<3>で主張する刊行物の記載は、ある種のアルコール中毒事故に関する治験についての興味を示唆しているに過ぎず、チアプリドに「アルコール中毒患者における行動異常の調整」という用途が存することを開示するものでないし、ましてや、「老齢者における行動異常の調整」という用途が存することを開示するものはない。したがって、右刊行物を理由として、乙特許発明には、特許法二九条二項に定める事由があるものということはできない。

四  債務者の再反論

甲特許権の通常実施権について

債務者が行っていた債務者製品の製造承認を得るための試験は、原則として健康人を対象とし、対象者に投与された試験薬の血清中濃度の推移を測定して、債務者製品と先発の製剤とが生物学的に同等であることを証明するというもので、債務者製品を甲特許権の用途に向けて使用するというものではないから、このような試験を行うことを目的とした債務者製品の製造は、甲特許発明の構成要件のうち「用途」の要件を欠き、甲特許権を侵害するものではない。

第三  当裁判所の判断

一  被保全権利について

1  証拠(疎甲一、二の各一、二、甲三、甲九の一、二)によると、債権者が甲特許権及び乙特許権を有していることが一応認められる。また、債務者が債務者製品を製造販売していることは、当事者間に争いがない。

2  甲特許権に基づく差止請求権について

(一) 甲特許発明には、チアプリド又は塩酸チアプリドからなり、「振せんと、特発性もしくは医原性のデイスキネジーと、舞踏病、チック、片舞踏病のような異常な行動とを含む運動異常を調整する」という用途を有する治療薬に関するものであるところ、債務者製品は、塩酸チアプリドからなる医薬品であり、証拠(疎甲一一、一二)と審尋の全趣旨によると、その「効能・効果」に、「特発性もしくは医原性のデイスキネジー」を含むことが一応認められる。

(二) 証拠(疎乙九の一二)によると、債権者は、甲特許権の出願過程において、「一般に向精神薬と称されている医薬品とは全く逆の薬理作用に基づく本願発明は、向精神薬として有用であるとのみ記載されている引例の発明とは明らかに別異のものである。」との意見書を、特許庁に提出していることが一応認められるところ、証拠(疎乙九の一二)と審尋の全趣旨によると、右意見書の記載は、従来の向精神薬が、振せんやデイスキネジーを発生させる副作用があったのに対し、甲特許発明に係る医薬品は、これらを治療する効果があることを述べているものであり、甲特許発明に係る医薬品が「ドーパミン受容体遮断作用」を利用していないことを述べたものではないと一応認められるから、債務者製品が「ドーパミン受容体遮断作用」を利用しているからといって、そのことから、直ちに甲特許発明の構成要件に該当しないということはできない。

(三) そこで、債務者が通常実施権を有するかどうかについて判断するに、甲特許権は、平成六年法律一一六号特許法の一部を改正する法律の施行により、その存続期間の終期が平成七年七月一一日から平成八年三月二六日に延長されたものであるところ、証拠(疎乙二、三)と審尋の全趣旨によると、債務者は、右法律の公布日(平成六年一二月一四日)前に、債務者製品について、製造承認を得るための各種試験を行い、製造承認の申請をするなどしていたことが一応認められるから、甲特許発明の実施である事業の準備をしていたものということができる。

しかし、証拠(疎乙二、三)と審尋の全趣旨によると、債務者は、平成七年七月一一日以前から、債務者製品の製造承認を得るための各種試験を行うことを目的として、塩酸チアプリドからなる医薬品を製造していたことが一応認められる。そして、債務者は、その「効能・効果」に「特発性もしくは医原性のデイスキネジー」を含む医薬品としての製造承認の申請を行うことを目的とし、そのような医薬品として塩酸チアプリドからなる右医薬品を製造していたのであるから、右医薬品は、甲特許発明と同一の用途を有するということができる。

また、このような製造承認を得るための各種試験を行うための製造は、技術の進歩を目的とするものではなく、債務者製品の販売を目的とするものであるから、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」ということができない。したがって、右医薬品の製造には、同条の適用はない。さらに、右医薬品の製造は、債権者の営業のためになされたものであるから、特許法六八条にいう「業として」行われたものということができる。

したがって、右の医薬品の製造行為は、甲特許権を侵害する行為であり、このような特許権侵害行為を行っていた者には、そのような行為に基づいて、附則五条二項に基づく通常実施権を認めることはできない。

(四) 債務者製品は、右のとおり、甲特許発明と同一の物質からなり、かつ、同一の用途を有し、また、審尋の全趣旨によると、債務者は、債務者製品を業として製造販売しているものと一応認められるから、債権者は、甲特許権に基づく債務者製品の製造販売の差止請求権を有する。

3  乙特許権の基づく差止請求権について

(一) 乙特許発明は、チアプリド又は塩酸チアプリドからなり、「アルコール中毒患者と老齢者における反応性亢進、攻撃性もしくは刺激性のような現象によって示される行動異常を調整する」という用途を有する治療薬に関するものであり、乙特許発明における「老齢者における」という文言は、「老齢者にある」又は「老齢者に見られる」の意味に解することができるところ、債務者製品は、塩酸チアプリドからなる医薬品であり、証拠(疎甲一一、一三、一四、一六ないし二五、三四)と審尋の全趣旨によると、その「効能・効果」に、「老齢者における反応性亢進、攻撃性もしくは刺激性のような現象によって示される行動異常を調整する」という用途を含むものと一応認められる。

(二) 債務者は、乙特許発明における「反応性亢進、攻撃性もしくは刺激性のような現象によって示される行動異常」とは、どのようなものか理解不能であり、債務者製品が、このような理解不能な構成要件に該当することはない旨主張するが、証拠(疎甲一一、一七、二〇、二一、二三ないし二五)によると、右の「反応性亢進、攻撃性もしくは刺激性のような現象によって示される行動異常」という概念が理解不能であるということはできないから、右主張を採用することはできない。

また、証拠(疎乙九の一二)によると、債権者は、乙特許権の出願過程において、「一般に向精神薬と称されている医薬品とは全く逆の薬理作用に基づく本願発明は、向精神薬として有用であるとのみ記載されている引例の発明とは明らかに別異のものである。」との意見書を、特許庁に提出していることが一応認められるところ、証拠(疎乙九の一二)と審尋の全趣旨によると、右意見書の記載は、従来の向精神薬が、振せんやデイスキネジーを発生させる副作用があったのに対し、乙特許発明に係る医薬品は、これらを治療する効果があることを述べているものであり、乙特許発明に係る医薬品が「ドーパミン受容体遮断作用」を利用していないことを述べたものではないと一応認められるから、債務者製品が「ドーパミン受容体遮断作用」を利用しているからといって、そのことから、直ちに乙特許発明の構成要件に該当しないということはできない。

(三) 債務者製品は、右のとおり、乙特許発明と同一の物質からなり、かつ、右のような老齢者に関するものについては、乙特許発明と同一の用途を有する。したがって、債権者は、乙特許権に基づく債務者製品の製造販売の差止請求権を有する。

なお、債務者製品の「効能・効果」には、右のような老齢者に関するもの以外のものも含まれ、このような老齢者に関するもの以外の用途を有するものとして債務者製品を製造販売することは、乙特許権の侵害となるものではないが、債務者製品が右のとおり乙特許発明と同一の用途を含むものとして製造販売されている以上、債権者は、乙特許権に基づいて、債務者製品の製造販売の差止めを求めることができるものというべきである。

二  保全の必要性について

1  証拠(疎甲四)と審尋の全趣旨によると、債権者は、甲特許権及び乙特許権につき、藤沢サンテラボ株式会社に実施許諾し、同社から右特許権の実施品の製造販売につき委託を受けた藤沢薬品工業株式会社が、塩酸チアプリドからなり、債務者製品と同じ「効能・効果」を有している「グラマリール」という商品名の薬品を製造販売していること、債務者製品の製造販売により、右グラマリールの販路が奪われ、ひいては、債権者が回復しがたい損害を被るおそれがあること、以上の各事実が一応認められる。

2  債務者は、甲特許権及び乙特許権につき無効事由が存する旨の主張をしているが、本件全証拠によるも、いまだ、明らかにこれらの無効事由が存するものとは認められない。

3  よって、債務者製品の製造販売の差止めにつき、保全の必要性を認めることができる。なお、債権者は、執行官保管も求めているが、甲特許権及び乙特許権の存続期間の終期が迫っていることからすると、執行官保管を命じるまでの必要性はないものというべきである。

平成八年三月六日

(裁判長裁判官 岡久幸治 裁判官 森義之 裁判官 田澤剛)

物件目録(一)

N-(ジエチルアミノエチル)-2-メトキシ-5-メタンスルホニルベンズアミドの塩酸塩からなり、「脳動脈硬化症に伴う攻撃的行為、精神興奮、徘徊、せん妄の改善、特発性ジスキネジア及びパーキンソニズムに伴うジスキネジア」を「効能・効果」とする医薬品(商品名「グリノラート錠二五mg」、「グリノラート錠五〇mg」)

物件目録(二)

N-(ジエチルアミノエチル)-2-メトキシ-5-メタンスルホニルベンズアミドの塩酸塩からなり、「効能・効果」として、「特発性ジスキネジア及びパーキンソニズムに伴うジスキネジア」並びに「老齢者における脳動脈硬化症に伴う攻撃的行為、精神興奮、徘徊、せん妄の改善」を含む医薬品(商品名「グリノラート錠二五mg」、「グリノラート錠五〇mg」)

物件目録(三)

N-(ジエチルアミノエチル)-2-メトキシ-5-メタンスルホニルベンズアミドの塩酸塩

特許権目録(一)

特許番号 第一〇三六八一〇号

発明の名称 運動異常の調整用治療薬

出願日 昭和五一年三月二六日(特願昭五一-三四一三一)

優先権主張 一九七五(昭和五〇)年三月二八日フランス国出願に基づく

出願公告日 昭和五五年七月一一日(特公昭五五-二六一二六)

登録日 昭和五六年三月二四日

特許請求の範囲

「N-(ジエチルアミノエチル)-2-メトキシ-5-メタンスルホニルベンズアミドまたはその薬理学的に許容される酸付加塩からなり、振せんと、特発性もしくは医原性のデイスキネジーと、舞踏病、チック、片舞踏病のような異常な行動とを含む運動異常を調整する治療薬。」

特許権目録(二)

特許番号 第一二六七四五〇号

発明の名称 行動異常の調整用治療薬

出願日 昭和五一年三月二六日(特願昭五四-一七三九一〇)

優先権主張 一九七五(昭和五〇)年三月二八日フランス国出願に基づく

出願公告日 昭和五九年九月二〇日(特公昭五九-三八九二八)

登録日 昭和六〇年六月一〇日

特許請求の範囲

「N-(ジエチルアミノエチル)-2-メトキシ-5-メタンスルホニルベンズアミド、その第4級アンモニウム塩、その酸化物、またはこれらの薬理学的に許容される酸付加塩からなり、アルコール中毒患者と老齢者における反応性亢進、攻撃性もしくは刺激性のような現象によって示される行動異常を調整する治療薬。」

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